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2010年1月

国際青年会議所に加盟している国家青年会議所及び市単位、県単位又は各地青年会議所の相互間の親善と友好の為に、相互の交流を行う締結関係を結んだ青年会議所のことで、姉妹JCともいう。
青年会議所未設立の地域の青年有志に働きかけ、設立を指導援護する青年会議所のこと。

社団法人 日本青年会議所が主催する、当該年度の日本青年会議所が一年の活動の集大成として発信する場です。

第1回全国会員大会を開催するにあたり、第4代日本JC会頭服部禮次郎先輩は次のように述べられています。
「全国会員大会は全国のJC並びに全会員が自由に討論でき、お互いのコミュニケーションの円滑化を図るべき場である。
全国会員大会は単なる物見遊山でもなければ酒宴でもない。いわんやそれをダシにして羽目を外したりするためのものではない。主催者側は遠来の人を遇する法をよく研究し、人と人との接し方を検討し、参会者は地域の旧習にある程度の寛容を示しつつその改善を示唆し、ともに助けて、

  1. 人の迷惑にならず、人のためになる集会(会場の出入り集散等すべて外部の人から見てもなるほどJCの人たちは違うなあという印象を持たれるような集会)。
  2. 参会したあとで参加者一同の胸の中に心の成長を感じるような集まり。
  3. 参会したあと長くその土地の人によき感銘を与えるような集まり
を持ちたい。」

全国会員大会は、この服部先輩の述べられた基本理念の下、第2回以降の開催が続けられてきました。服部先輩の述べられた基本理念は、現在の全国大会にも継承すべきものと言えるでしょう。

例えば、2000年代運動指針は、冒頭で「新しい時代の新しいJC運動。2010年、私たちは、社会企業家として、『個と公の調和』のとれた『活力と知力』あふれる社会の創造を目指します。」と宣言しています。
服部先輩が述べられた、「人の迷惑にならず、人のためになる集会」とは、まさに今後のJC運動の理念である「個と公の調和」を実現する集会に他ならないのであります。

本年は社団法人小田原青年会議所が主管(2007年全国会員大会帯広大会にて決定)となって第59回全国会員大会が開催される予定です。

これまで社団法人日本青年会議所の全国会員大会は1953年以降58回開催されています。
過去、どのような地域であったのか一覧にしました。

西暦 開催地
1953 1 名古屋
1954 2-3 富山/函館
1955 4 京都
1956 5 広島
1957 6 東京
1958 7 福岡
1959 8 仙台
1960 9 高松
1961 10 旭川
1962 11 岐阜
1963 12 金沢
1964 13 岡山
1965 14 横浜
1966 15 神戸
1967 16 広島
1968 17 札幌
1969 18 新潟
1970 19 名古屋
1971 20 長崎
1972 21 甲府
1973 22 宝塚
1974 23 山口
1975 24 松山
1976 25 浜松
1977 26 仙台
1978 27 神戸
1979 28 那覇
西暦 開催地
1980 29 札幌
1981 30 鹿児島
1982 31 伊勢
1983 32 秋田
1984 33 千葉
1985 34 広島
1986 35 富山
1987 36 和歌山
1988 37 高知
1989 38 福岡
1990 39 豊橋
1991 40 東京
1992 41 函館
1993 42 岡山
1994 43 盛岡
1995 44
1996 45 長野
1997 46 熊本
1998 47 徳島
1999 48 山形
2000 49 福山
2001 50 大阪
2002 51 旭川
2003 52 福井
2004 53 水戸
2005 54 姫路
2006 55 郡山
2007 56 帯広
2008 57 浜松
2009 58 那覇
2010 59 小田原・箱根
祇園祭(おぎおんさあ)は、平安時代の869年(貞観11年)に天下に疫病が流行った時、八坂神社の祭神・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りとして卜部(うらべ)日良麻呂が勅を奉じ、6月7日に全国の国数に準じて鉾(ほこ)66本を立て、同月14日に洛中の男児が神輿を奉じて神泉苑に集まり、御霊会(ごりょうえ)を行ったのがその始まりであると言われています。

「御霊会」とは、政治的失脚などにより、志ならずに死んだ人々の霊(御霊)が天災や疫病をもたらすとして、その霊を鎮める祭事のことです。
また、970年(天禄元年)あるいは975年(天延3年)の6月14日に行われた御霊会から始まるという説もあります。
いずれにしろ、これらのことから、祇園祭の本質は、疫病祓いにあり、御霊会にあると言えます。

季節的にもこの祭りが行われる6月(現在では7月)は、梅雨から夏にかけての病気が流行りやすい季節であり、そのことへのお祓いとしての意味も大きいと考えます。そして、この時代から、この祭りが全国に広がって行きました。
このような中で、疫病を追い払うために、神を乗せる輿、つまり神輿をつくり、厄神を乗せてにぎやかにもてなし、送りだそうとして、神輿が生まれたとされています(『本朝世紀』)。このことは、神輿が街中を移動することで、神様が街中を旅をすることとなり、その過程で、悪霊を取り払い、街中が清らかになることを意味し、現代にも通じる大変貴重な意義ある行事だと考えます。

こうして、平安時代から続いた祇園祭でしたが、「応仁の乱」(1467~1477年)が起こると、京都の町全体に大きな打撃が与えられ、やむなく30年あまりにわたって中断されました。やっと、1500年(明応9年)に復興されたという歴史がありますが、京都の復興の象徴が町衆による祇園祭の復興でした。復興後の京都の経済復興はめざましく、巡行する鉾をかざる懸装品には中国や西方から舶載された虎皮や絨毯などの豪奢な品々が用いられたとのことです。
このようなことから、平和の時代への要請、商売繁盛への景気づけ、など民衆の願いが込められた祭りへの変貌が図られたという歴史もあります。その中で、特に祭りを支えてきたのが町衆の中の商工業者です。

1768年(明和5年)の鹿児島の八坂神社に関する資料によると、「商榮講」なる組織がこの祇園祭の全ての費用を捻出していたことが窺えます。「商榮講」は現在の商店会、商工会にあたるものであり、鹿児島においても商工会議所が中心になっていることは妥当なことだと考えます