理事長所信

『生きることは考えることである』とは紀元前の政治家の言葉です。人間は1人で生きていくことができません。生きていく上では様々なことが起こり、たくさんの人や事象と関わっていくことになります。自分がなぜ生きているのか、何をすべきなのか、考え続けなければなりません。

『人間は考える葦である』とも言います。人間は自然の中で、ひいては宇宙の中でとても小さく脆い存在かもしれませんが、思考を重ねていくことによって、宇宙をも超える想像力と可能性を秘めた存在でもあります。我々は20代・30代の組織であり、当然ながらまだまだ未熟です。経験からくる感覚などを持ち合わせていない我々が、「感じる」なんてもってのほか、考えて、考えて、考え続けなければなりません。

私が想う⻘年会議所とは

「⻘年会議所ってなんですか」「⻘年会議所は何をする団体ですか」こういった類の質問はよくあることかと思いますし、その答えに毎回悩まされることかもしれません。10人に聞けば、20通りくらいの答えがあるのではないでしょうか。その中には教科書のような答えもあるでしょう。後ろ向きの答えもあるでしょう。人それぞれ歩んできた人生が違うように、⻘年会議所とはなんぞや、の答えに全く同じものはありません。

私はなんと答えるのだろうか、と考えたときに、やはり真の答えは卒会してからしか滲み出てこないのだろうと思います。しかし、現時点で答えるのであれば『地域を愛し活気付ける人財を輩出する、積極的で傍観的な組織』であると考えます。

⻘年会議所は半世紀以上も⻑きにわたり、あらゆる「まち」づくり事業を行い、各地域にインパクトを残して参りました。その一つ一つはかけがえのないものではありますが、決してゴールではありません。その事業に携わった人々がいかに成⻑するか、その後いかに地域に貢献し恩返しができるか、そんな「ひと」づくりこそが⻘年会議所の果たすべき使命だと強く想います。あえて「傍観的」と言わざるを得ないのは、個人を強制的に矯正する組織ではないからです。それもまた、⻘年会議所の魅力の1つと言えるでしょう。

To provide development opportunities

⻘年会議所のミッションは、⻘年に発展・成⻑の機会を提供することです。会員になれば素晴らしい意識を持って行動できるようになるわけではなく、あくまで機会が提供されているだけ、機会が平等に転がっているだけであって、その後は個人に委ねられます。本人の自由とも言って良いでしょう。機会を掴む人も、掴まない人も、全てがJAYCEEであり、その集合体が⻘年会議所です。

そんな多種多様な個人の集まりである⻘年会議所でも、組織として機会を掴みやすい環境を作り続けること、提供し続けることはとても大切です。我々はあらゆる社会課題と向き合い、それを解決すべく運動をおこし、地域や時代に即したいわゆる「まちづくり」事業を通して、明るい豊かな社会づくりを実現しなければなりません。鹿児島の社会課題とはなにか、それは多面的なものではあるかと思いますが、個人の直観や感覚ではなく、あらゆる角度から物事を考え、背景を調査し、今の我々に何ができるか考えていきましょう。そういったあらゆる機会を提供し続ける組織であるべきだと強く想います。

前提を忘れないために

グローバリズムは地球を一つの共同体とみなし、国境や宗教を超え地球規模で人々の交流や経済活動が行われてきました。その響きの良さ、心地のよさ、そしてそれを疑う余地のなさに溢れていたのも事実です。それがたった1つのウイルスにより、世界の様相は一変しました。パンデミックと言ってしまえばそれで終わりなのかもしれませんが、疫病の大流行は儚くもグローバリズムの弱点を突いてしまいました。ここから我々が学ぶべきことは、物事にはすべて「前提」が存在し、その「前提」を忘れてはならないということです。今まで描かれてきたグローバリズムは、パンデミックが起きないという「前提」があってこそ成り立つものでした。世界はその反省を活かせるか、問われ続けています。

我々鹿児島JCは戦後まもなく誕生し、地域経済復興の支援活動からはじまり、伝統文化の支援や鹿児島県内各地⻘年会議所の発足を牽引しました。その後、市⺠と協働して事業を展開し、あらゆるインパクトを残し、今もなお市⺠の手により受け継がれた事業が数多く存在しています。近年では「世界に誇れる鹿児島」を地域ビジョンに掲げ、世界とつながる鹿児島を目指し、鹿児島の国際化にも力を注ぎました。

そして今、歴史的なパンデミックに直面している我々が取るべき行動とはなんでしょうか。幾多もあるその答えの中の1つには、やはり我々の足元を見つめ直す事が入ってくるでしょう。今まで当たり前で気にも留めなかった「前提」を意識し、それを未来に発信する行動を取らなければなりません。「正常性バイアス」という言葉をよく耳にするようになりましたが、「自分は大丈夫」という慢心が1番危険だと学んだはずです。それを打破するには今一度、多面的な防災意識を芽生えさせる必要があります。様々な災害に対応できる社会を構築し、持続性を持った防災意識の普及を啓発していきましょう。それは地域の特性をよく知り、市⺠と協働してきた我々にこそできることではないでしょうか。

To create positive change

古くから続く良き伝統、悪しき習慣等、⻑く続く組織に付き物ではありますが、時代や社会は常に変化し続け、我々を待ってはくれません。総会・理事会・会員拡大・会員研修等、組織が存続する上で必ず行うべき事業は数多くありますが、その目的を達成することができるのであれば、例年通りの手法にこだわる必要はありません。簡略化すれば良いという訳ではありませんが、科学や技術は確実に進歩しているこの世界で、新しい事を取り入れる姿勢は常に前向きに、⻘年であればなおさら前かがみ・前のめりであるべきです。

温故知新とありきたりな言葉を掲げるのは容易いですが、組織の前例を変える事は一筋縄ではいきません。どうして今までそうだったのか、「howto」ではなく「why」の視点でそれらの調査を徹底することに意味があります。その上で現状どうすべきなのか、それは未来の負担にならないのか、あらゆる角度からアプローチすれば、自ずと未来へつながるはずです。持続性のある組織にするために、刷新する勇気を持ち新しい一歩を踏み出しましょう。

耳触りが良いだけの持続可能はやめにしよう

SDGsという言葉はここ数年で加速度的に拡がりました。そこには⻘年会議所が果たしてきた啓発運動も多いに貢献していることでしょう。地球規模で議論が進み、運動が起こっています。しかし、その一つ一つは本当に持続可能なのでしょうか。何かを満たすと何かが崩れる難しいバランスがこの世にはあり、矛盾している運動も数多く存在しているように思えます。なんとなくやらないといけないのかな、乗っかった方がいいだろうな、といったものも散見されます。果たしてこのままで良いのでしょうか。惰性的なサスティナブル、自分勝手な持続可能はもうやめにしませんか。

SDGsには17の目標、169のターゲットが明示されていますが、その全てが分からないほど複雑につながっているのがこの地球です。たくさんの目標を達成する前に、たった1つの目標「持続可能な社会の実現」を根本から考え直さなければ、おそらく先には進めないでしょう。新しい物事が進んでいくときは、必ず批判や問題点が出てきます。それを素直に問題として共有し、議論を深め改善していくことで新しい道が開けるものです。我々が行ってきたSDGsも同じことが言えるのではないでしょうか。あらゆる問題点や矛盾を指摘し合い、真に意味のあるSDGsを全ての事業で実践しなければなりません。17色の丸いバッジをつけているのであれば、颯爽と意識を変え、SDGsの先導者として、責任のある行動を一人ひとりが取らないといけないのです。

To create sustainable impact

桜を見て美しいと感じるのは、国を問わず万人の共通事項かもしれませんが、それが散っていく様まで美しいと感じるのは、日本人特有の事だと聞きます。モノやコトの侘び寂び、哀れや儚さまでをも美しいとする日本人ならではの美意識が大好きです。「日本人ならでは」なんて人種を限定すると、都合の良い「多様性」に弾かれそうな世の中ではありますが、日本ならでは、鹿児島ならでは、を発信することに迷いはありません。地域の特性をさらに活かして、世界に誇れる鹿児島であってほしいと願います。

鹿児島JCも同じです。先輩方が力強く進めてきた事業は、この鹿児島に数々のインパクトを残してきました。その時代の⻘年たちが込めた熱い想いは、今まさに我々に託されています。我々が鹿児島を想い、未来をデザインすることができれば、市⺠に必要とされる鹿児島JCであり続けられることでしょう。

本年で創立68年を迎える鹿児島JCは、いよいよ70周年という大台がみえて参りました。毎年組織変更があり、1つの事業を継続していくには不向きな面もあるかと思います。しかしながら、それでもなお鹿児島JCとしてあり続けるためには、未来へ引き継ぐ新たな事業を構築し、育てていく試みが必要です。40歳以下の⻘年と区切りがある以上、若々しさを表にだし、地域へインパクトを与え続けていきましょう。

また、今まで確立してきたブランドを絶やさないためにも、攻めの広報が必要です。時に⻘年会議所は、二代目三代目のボンボンの集まりだの、金持ちのサロンクラブだのと揶揄されます。しかし、故郷のため戦後まもなく立ち上がり、前を向き、歩み続けた70年は嘘ではありません。しっかりとした情報を報道し、真の鹿児島JCを発信していきましょう。

終わりに

本年は think・考えることを意識したスローガンとなっておりますが、『分別過ぐれば愚に返る』とあるように、考えすぎてしまうと、かえって迷いが生じたり、愚策におぼれたりすることがあるかもしれません。しかしながら、失敗を恐れず果敢に攻めることこそが若者の特権でもあります。挑戦する姿勢を貫くという「前提」のもと、深く「考える」1年でありたいと願います。

また『三人寄れば文殊の知恵』とも言います。皆で知恵を出し合えば、思いがけない知恵が出てくるものです。我々鹿児島JCは、40歳以下の⻘年経済人が100人以上属す団体で、可能性は無限にあります。そして寄り添ってくれる先輩方が1000人以上いる唯一無二の団体です。会社・家族を含めれば、数万人へ影響を及ぼすこともできるでしょう。

我々の行動が、想いが、明日の鹿児島を切り拓きます。

先人たちのように、美しく、泥臭く生きましょう。感じるな、考えろ!!