理事長所信

本日晴天なりっ

青年会議所は、愛によって導かれる幸せを生み出し続ける装置、社会人の学び舎、所属しているだけでは成果を出せないスポーツジム、義を言う稽古をする場所、いろんなものに例えられてきました。また、政策立案実行団体、社会変革団体、市民意識変革団体、リーダーを育成する団体など、多くの側面がある団体です。会員のみなさんには青年会議所は如何、映像りますか?私にとっての青年会議所の体験は、古典文学を読んでいる感覚に近いと思います。二面性と、立体性、構築性、反復性。確固たる主義に基づいた世界観、社会への階層的視点、常識とは違う発想。ただ読んでいるだけでは到達できない限界を学びによって超え新たな価値を創造する感覚。そしてなにより、物語を数倍面白くしてくれる、解説や解読を試みるレビュアーたち。
果てしなくつづくストーリーの基本構造、破壊と創造、そして解放の間にある、新しいJC体験の主役は会員のみなさんです。必要なプロットが他の会員との交流なのか、役職なのか、出向なのかは人によって異なるかもしれません。ただ、青年会議所の価値は人との関わり合いの中にあるがゆえに、体験しないとわからないことは確かだと思います。
頭上から聞こえてきたピアノの音の方に目をやると、その建物の先に広がっている青空に気づく。ちぎれる積雲に新しい季節の訪れを感じた瞬間幼い時代の記憶を思い出す。円環的な時間の中で、その瞬間にしか書くことのできない言葉通りの想いが現実となり、言葉が意味を成していく。鹿児島青年会議所の物語はふとした時にまた読み返したくなる、嘘のない創造性の塊であってほしい。というか、そうあるべきでしょう。

それの年の一月の一日の子の刻に門出す

2024年5月、鹿児島青年会議所は創立70周年を迎えます。一言で70年と言っても、途方もない年月です。鹿児島市が1889年(明治22年)4月に成立してから135年しかたっていないのですから、鹿児島市の歴史の半分は鹿児島青年会議所とともにあったと言ったら大げさでしょうか。
日本の南北朝時代や中国の三国時代は70年たたずに始まって終わっていますし、いまや世界の中心的な都市のひとつであるドバイ(アラブ首長国連邦)は、70年前はちいさな漁村だったそうです。たいていの人にとって人生そのものともいえるこの70年という年月を考えるとき、青年会議所に関わってきた多くの人たちの人生に思いを馳せずにはいられません。
我々も、70年あるかどうかわからない人生の中の一年を仲間とともに鹿児島青年会議所でそれ畢竟過ごします。さて、この記念すべき年はどんな一年になるのでしょう……。

70年前の1954年は、吉田茂内閣、前年に朝鮮戦争の休戦協定が締結された年、神武景気の始まった年、エリザベス女王戴冠の年です。サンフランシスコ平和条約が発効し、連合国による占領が終了したのが、1952年4月ですから、この年は日本が本来の主権を回復してから2年しかたっていません。東京オリンピックの誘致をしていた頃で、急激な復興のかたわら、戦争の爪跡も依然として残っていた時代だったようです。まだ谷山町や、東桜島村、吉田村、喜入村、郡山村、上伊集院村(のちの松元町)が存在していたのですから、市民の地元への帰属意識も今とは違っていたのでしょう。鹿児島市でも地域によっては水道や電気が各家庭まで通っておらず、手が汚れたときは道ばたの水たまりで洗っていた、道路が舗装されておらず、雨が降ると穴ぼこだらけになった、というような話を、この時代に児童だった人から聞くことがあります。現代における発展途上国のような暮らしをしていた人も多かった70年前に比較すると、令和時代の物質的な豊かさは夢の世界のお話でしょう。現代では当たり前に普及した、携帯電話、インターネット、カーナビ、コンビニ、人工知能、環境問題や喫煙の害への意識などは一般の市民は想像もしていなかったに違いありません。
しかし、いまの豊かさが持続的なものなのかについては、世界中で疑問が呈されています。日本は超高齢化、人口減少という国難に直面しているのに加え、地球規模の環境問題、安全保障上の課題に巻き込まれています。鹿児島市においても持続可能性に関する問題は存在しており、少子高齢化や人口流出による社会・経済の担い手の減少、自治体の財政状況の悪化に伴い、我々を支えてきた経済活動・医療・教育・地域コミュニティ・環境といった社会のありようが変化を余儀なくされています。
この変化に対応する、または変化を食い止めるために、自治体および民間企業や各団体におけるSDGs推進などさまざまな取り組みがなされています。社会課題を解決しようという団体である、青年会議所においても、持続可能性は優先的に取り組まなくてはならないキーワードです。ただ、リソースには限りがありますので、漫然と他の組織と同じことを行うのではなく、各所と意識を共有しながらも青年会議所の長所を生かした関り方で貢献していきたいものです。
2024年度はここ10年を総括する年度ともいえる節目の年です。これまでの活動運動を振り返るとともに、これからの5年・10年・30年・50年をどう歩んでいくか、さまざまな切り口で考え描き出す1年になります。そこには、かつてない気づきと学びの機会があります。この年に鹿児島青年会議所に在籍できたみなさんはその幸運をフルに活かしていきましょう。

刻むあなたのアイデンティティ

我らが鹿児島青年会議所は、第二次世界大戦後のダイナミックな復興の中、地域を想う有志38名が集まって成立した団体であるとうかがっています。国際青年会議所(JCI)や、日本青年会議所とも連携しながら、地域社会や、国家の課題解決に尽力するとともに、会員をはじめとする市民の能力開発に務め、鹿児島を背負う多くのリーダーを輩出してきたことは広く知られています。
戦後復興がひと段落し、時代がさらに変化する中にあっても会員である20代・30代の起こす活動やスタンスが同世代の人たちに一定以上評価され続け、鹿児島青年会議所が役割を失うことなく、存在感を発揮し続けてきたのは、時代に沿って常に未来への挑戦を続ける姿勢が、永年の蓄積によりアイデンティティとして確立された結果なのは間違いないでしょう。
1000人以上のシニア・OB・現役会員によってつなぎ、育まれてきた鹿児島青年会議所のアイデンティティは、社会課題に正面から向き合い、解決に向けてあと一歩、その先へと踏み出すことにあります。
このアイデンティティを明快な形で社会の中で実践しながら次の10年へと確実に前進することが期待されています。

では、私は、私達は。鹿児島青年会議所の会員はどのような特性を持った集団なのでしょうか。
鹿児島と言えば、もともと一帯を支配していたのは隼人族。隼人族の始祖は、天皇家の祖とされるニニギノミコトの子供であり、のちの天皇家につながる山幸彦の兄である海幸彦であると古事記や日本書紀に記述があります。誇り高い薩摩隼人は、飛鳥時代ごろまで大和朝廷と対立しており、かなり長い間独自性を保っていた民族であると言われます。民族的には大和民族と同化してからも、鎌倉時代から続く島津家の庇護のもと、長く独自の文化を育んできました。戦後交通の発達や教育体制の変化で変容した鹿児島の気風ですが、いたるところに鹿児島ならでは、という面影は残っているようです。独自の文化は地域に根差した英知の結晶なのですから、現代人から見ても、価値がある、正しい、と思われることがあれば大切にしていきたいものです。
現代の鹿児島県民は、優しい人が多い都道府県のランキングでは毎回のように上位に顔を出しますし、聞き上手や愛情深い人が多いという結果が報告されています。自分では気付かなくても、県外から来た人に鹿児島県民は癒しを与える存在であるようです。
近年よく聞く世界的な世代区分として、生まれた年により人間をZ世代Y世代X世代と分けるものがあります。Z世代は1990年代後半以降から2012年ごろに生まれた青少年を指しています。世界的には最もボリュームのある世代として注目されているのですが、日本では、少子化の影響で世界全体の半分以下の割合でしか存在していません。Z世代は、生まれたときからインターネットを利用できる環境で育った世代であるということが特徴であり、日本では効率性や公平性、多様性を大切にする集団であると言われます。一方、2024年の鹿児島青年会議所を主に構成している、1980年代なかばから1990年代前半に生まれたのがY世代です。Y世代の特徴は、個人主義、自由を大切にする、リーダーシップへの関心が高い、などがあげられています。ちなみにX世代はZ世代の親にもあたる世代で、物質的な消費活動に積極的、また、デジタルの普及を目の当たりにしてきた世代であり、新しいものを受け入れることに積極的であると言われます。日本では、氷河期世代・ロスジェネ世代という言葉で呼ばれる印象が強いです。

青年会議所会員ならではの特性として、地域経済に貢献する青年経済人が多いことが挙げられます。人口増加に伴い日本全体に発展の好循環が起こっていた時代と違い、地域経済は疲弊し縮小するフェーズを迎えています。菅義偉氏も首相在任時に似たような主旨のことを発言したことがありましたが、地域経済の発展は、持続可能な地域の実現にダイレクトに結びつく重要な要素であり、会員一人ひとりが常に頭の中に置いておかなければならない課題となっています。社業に励むだけでは発想を得られない、市民・行政・企業が連携したソーシャルビジネス等、より効果的な可能性を考えられる場であるように、鹿児島で一番情報が集まる場であるように、グローバル社会への対応のウェーブが生み出されるように、鹿児島青年会議所に常に価値観の渦を発生させましょう。アンテナを張って色んなものを見て聞いて頭の中をさらに刺激でいっぱいにしていきましょう。
地域の社会課題への関心の高さ、会員の専門知識やスキルの多彩さも特性として挙げられます。入会した時は目的意識をもっていなかった会員も、同世代の人間からの刺激や、多くの成長の機会を経て、多面的な角度から世の中のことを考えることのできる人財になっていくのです。

兵を養うこと千日

鹿児島青年会議所の成立は、スポンサーJCなくてはあり得ません。すなわち、宮崎青年会議所のみなさんが青年会議所のなかった鹿児島の青年有志にLOM設立の援助をしてくださったところから、この70年間の、延べ数十万人を巻き込むことになった団体の歴史が始まったのです。その歴史の中で紡がれた関わりは、九州内はもとより日本各地の青年会議所、さらに世界各地の青年会議所の会員との友情とパートナーシップを生み出しました。青年会議所以外にも、鹿児島県鹿児島市を始めとする自治体、各種団体はもとより、教育機関、民間企業、市民、そして今では1000名を超えた鹿児島JCシニア・OBのみなさん、といったたくさんの人たちとのつながりの中で青年会議所の活動は行われています。歴史の節目は、パートナーの方々に感謝の気持ちを伝えるとともに、鹿児島青年会議所の活動の目的や、明確な存在意義を共有し、今後の持続可能な協力体制を構築するまたとないタイミングです。併せて、さまざまな活動に一つの区切りをつける大きなチャンスでもあります。自分たちらしく70周年を迎え、心をひとつにし、LOM内外とのより力強い結束を鹿児島青年会議所にもたらすことができれば、青年会議所の活動はますます効率化され、レベルアップし、効果を増幅させていくことでしょう。
鹿児島青年会議所では2023年度、70周年準備委員会が設置され、記念すべき70周年をつつがなく迎えるためにさまざまな準備をしてまいりました。さまざまな人の思いを受け止めて、かたちにする、他の事業とは一味違う70周年の貴重な活動に会員全員で取り組み、2024年の、いや、人生のハイライトにしましょう。

鹿児島青年会議所は当初奉仕活動を主体とした団体でしたが、現在は、基本的に市民と、もしくは市民が、行うまちづくり・ひとづくりの運動を展開する団体です。まちづくりと一言で言っても、ビジネス、観光、防災、環境保護、景観、住みやすさ、交通、福祉、ICT等の発展を包括した概念であり、各側面のバランスを取りながら、どの要素をのばしていくのかという、奥の深いものです。そこには総合的、俯瞰的、長期的な目線や、調整役の存在、そして、特定の関係者に利害が偏らないように、一部の声の大きな人の意見で物事が進んでいかないようにという意識も必要です。ただ、全員に花を持たせるようなやり方は、将来、あらゆるリソースが不足していき、チャンスも限られていく日本では不毛な活動になりかねません。まちづくりは、オリジナリティを追求し、シビックプライドを高めた先にある市民の満足感が究極の目的です。まずは、市民自身がなにを望んでいるのか、十分に意見を出し合うことでかたちをつくっていくことが必要ではないでしょうか。そこには、最初から答えがあるのではなく、さまざまな人がさまざまなまちづくり活動をすること、関りを持つことによって意識が生まれていくものだと思います。同時に、実際にまちづくりを実行する人の推進力を高める工夫が必要でしょう。そのための場は鹿児島になんぼあってもいいはずです。フォーラムや、イベント、ワークショップ、オンラインプロジェクト、パイロットプログラム、コンペティションなど、横文字で表されるものがトレンドですね。加えて、一度きりのきっかけづくりにとどまらず、そうした場を通じて醸成された成果をかたちとして残すことができたら、より目的達成は近づくでしょう。
たとえば、鹿児島青年会議所は、これまで何度か中期・長期ビジョンや、アクションプランを策定し、公に発表してきました。併せて、政策提言やアイディア集を作成し、社会の幅広い課題の抽出とその整理を行ってもきました。これは、青年会議所会員が社会課題解決の中心になりながら活動していくことの表明であると同時に、ステークホルダーや市民の意識の変化をうながし、大きな運動を生み出す可能性のあるものとして、全国の青年会議所でも多く取り入れられている手法です。余談ですが、現在も、2020年に作成された中長期ビジョンである、2020-2025 SDGs中長期戦略計画が進む中、鹿児島青年会議所の活動が行われています。この中長期戦略計画は、社会変動に適応していくためには、変化をしなければ生き残ることは出来ない、私たちは日々変化を起こす人である(抜粋)、という序文の印象的な、きわめて実践的なものになっています。JC活動に縁があった会員のみなさんは、事務局などに保存されているこのような過去の資料に一度目を通してみて損はしないでしょう。
失われた30年、増税に次ぐ増税、リバタリアニズムの広がり、コロナ禍、アフターデジタル、気候変動、中国やグローバルサウスの台頭、異世界転生の流行とセカイが枚挙にいとまなく変貌を遂げる中、これからの社会を担う若者は何に価値を見出し、どのような暖かい明日のビジョンを描いているのか、他の世代の人は知りたがっています。その一方、まちづくりの場に若者世代が主体的に参加する場面は、あまり見られないのが現状です。国が、若者の力を政治に取り入れたい、若者にも社会の担い手であるという意識を持ってほしい、と選挙権を得る年齢を2015年に18歳まで引き下げたにもかかわらず、です。まちづくりへの関心の優先順位が低い、シルバー民主主義に慣れ意見することをあきらめている、知識量が不足していることから、発言を遠慮している、まちづくりの場の存在を知らない・慣れていないので参加しづらいなど、いろいろな原因が考えらえます。基本的にまちづくりの中心として動くような時間的余裕のないことが多い若者ですが、まちづくりのような固いと思われるテーマであっても、機会さえあれば伝えたいことや、じっくりと取り組んで考えてみたい意欲を持っているものです。また、関心をもつとっかかりがあれば、スイッチが入る人もいます。若者に近く、特定の個人又は法人、その他団体とのしがらみのない鹿児島青年会議所であれば、まちづくりに若者が参加するきっかけづくりをするのにきっと大きな役割を果たせるでしょう。

だけど あれ?なんか違うかも

説明不要なほど世の中に浸透したSDGs(Sustainable Development Goals)ですが、環境課題や社会課題を解決する足掛かりとなるツールであり、青年会議所の存在意義とも関連性が高いものです。日本の青年会議所はSDGsを日本で一番推進している団体、また、日本で一番先に取り組んだ団体ともいわれることがあります。鹿児島青年会議所でもSDGsの推進に特化した委員会を設置したり、事業ごとにSDGsのゴールやターゲットを関連付けて取り組むなど推進に協力してまいりました。数年にわたる取り組みの積み重ねにより会員の知見もだいぶ深まってきたところです。一方、G7広島サミット2023でも指摘されたように、SDGsは全体的に進捗に遅れが目立っており、ゴール達成のため、さらに変化を加速することが求められています。SDGsに取り組むことの難しさの一つに、ドラスティックなアクションを求められるゴールの存在があげられます。SDGsには17のゴールに加え、169のターゲットが設定されています。このうち、たとえばゴール13(気候変動に具体的な対策を)やゴール17(パートナーシップで目標を達成しよう)のように、民間では実行することが難しいものや、ゴール7(エネルギーをみんなに そしてクリーンに)のように、技術的イノベーションが達成の前提になっているように見えるものもあります。重々帝網あらゆる社会の課題について知り、意見を交換することや、SDGsすべてのゴールを自分の問題として意識することはもちろん大切ですが、団体の取り組みとしては、会員の行動力や人的つながりといった長所を生かし、行政や民間では取り組みづらい分野の活動運動に力を注いだ方がよいのではないでしょうか。また、SDGsに含まれないものについて必ずしも取り組まなくてよいということではありません。たとえば、日本で大きな課題となっている、少子化や育児の難しさの問題は、直接的なターゲットでは示されていないのです。
地域の問題を解決するには、これから永く地域で暮らしていく、20代・30代が鍵となる存在なのは間違いありません。会員が考え方についてSDGsを基本としながらも、情報やリソースを取捨選択し、明るく豊かな鹿児島のために今何が必要なのか、感じる、ではなく考え、かたちにしていくことを続けるとき。また、JCI CREED実現のために、20代・30代ならではの創造性や柔軟性、テクノロジーへの親和性を活かし、しがらみなく邁進するとき、鹿児島に持続可能な発展が起こるミライが容易に想像できます。

鹿児島青年会議所の活動範囲である鹿児島市および周辺地域を地理的に見るとき、桜島や旧喜入町、旧松元町や旧吉田町、姶良市のような鹿児島青年会議所70年の歴史でもあまり関わってこなかった地域もあり、この「誰一人取り残さない」時代に、我々の活動運動をどう鹿児島青年会議所の活動する地域全域に波及させていくか、については、一考の余地があります。
ただ、国内21番目の人口を誇る中核市でありながら目立った産業の無い都市・鹿児島市の価値を高めているのは、基本的に人口密集地帯である、鹿児島中央駅~天文館にかけての丁寧に管理されたまち全体の活気や彩りではないでしょうか。この地域は、多くの人にとって生活やビジネスの中心地であるのみならず、鹿児島市の経済、特に商業や観光にとって重要な地区です。近年、再開発も盛んで、2021年の鹿児島中央タワー開業や2022年のセンテラス天文館開業は記憶に新しいところです。周辺地域でも、2023年に外資系ホテルがオープンした甲突川南岸の交通局跡地と、ドルフィンポート跡地含む新港区の再開発が進行しています。鹿児島が全体的に発展し、広い範囲で有効にまちづくりを展開できるかどうか、重要なタイミングに差し掛かっているといえます。元来、鹿児島市の観光においては、交通網の使いづらさや、アミューズメント不足が課題とされてきました。中心部をバランスよく開発することで、こういった問題が解消されることに期待が寄せられています。2023年には、これらの地区を含む鹿児島中央駅から鹿児島駅区間について、歩いて楽しめる街づくり事業を進めることが鹿児島市から公表されました。現在進行形でたくさんの点が線になっていき、円になっていくのが鹿児島市の都市空間です。持続可能な発展に欠かせない、環境への配慮、安全・安心、利便性、有力な産業、独自のアイデンティティ、クリエイティビティといった要素を鹿児島市がこれからも伸ばしていけるよう、中心地域の動向は会員一人ひとりが常に意識して情報収集・情報共有し、鹿児島青年会議所の活動に取り入れていきましょう。
さて、鹿児島中央駅と天文館をリンクさせる上で重要な場所に位置し、鹿児島市の施策の一つとして、河畔の開発や利活用が検討されているのが、甲突川エリアです。この川は、鹿児島市民の水道水の原水であり、鹿児島市の生物多様性地域戦略における保全の対象となるなど、鹿児島市を代表する川と言えます。中心地域を流れる下流は、かつていわゆるドブ川と呼ばれ、生き物の生息が困難な時期もあったようですが、現在では、水質が改善され、野鳥などの生き物が見られます。また、人間にとっても水辺の景観はもちろん、カヤックのようなアクティビティも楽しめる、鹿児島の観光資源のひとつでもあります。
鹿児島青年会議所は、約50年前、清掃活動を端緒に甲突周辺の環境を整備する運動を始め、JC千本桜植樹により市民の憩いの場をこのエリアに作り出しました。2022年からは、この偉業を称えつつ甲突川の利活用を促進すべく長月桜祭りという事業を展開し、天文館と中央駅の間のにぎわい創出や回遊性の向上に貢献してきました。2024年は、この事業の総まとめとして、鹿児島市中心部における甲突川の活かし方についての、たったひとつの冴えた将来像をはっきりと描きましょう。

未来はとても明るいですが 問題はすでに山積みでした

高齢者や子供のような、サポートを必要とする人たちにとって、地域福祉の増進や防犯防災のため、生活の質向上のために地域コミュニティの存在は欠かせないものです。一方、地縁の希薄化による弱体化が叫ばれて久しく、担い手の高齢化も確実に進んでいる現状があります。住民の生活の質を高める地域の力は、鹿児島市も、町内会や校区コミュニティ協議会の支援という形で推進しているところでもありますが、活動の広がりにはまだ課題も多いようです。家族親族のかたちが変化していく中、高齢者や子供以外の人たちにとっても、地域コミュニティの衰退は、有事の際の大きなリスクとなります。今後数十年は税収の大幅な増加が期待できず、行政サービスの充実が難しい時代が続くとみられており、地域コミュニティに代替するサービス提供にも過度の期待はできません。将来、鹿児島市が殺伐とした無縁社会に突入してしまうのではないかという不安は募るばかりです。
地域コミュニティは、このまま地域の人から不要なものとされたまま、消滅していくのでしょうか。元来鹿児島は、お上に頼りすぎず自律を大切にする土地柄でした。その名残は、各地でみることができ、祭や自治組織が自然と出来上がり活動しているのが目につきます。そこには、地域の人間関係構築の種が必ず存在していることでしょう。また、鹿児島市の町内会には、毎月イベントを開催したり団体旅行を計画したりと活発に活動していたり、先進的な取り組みをしているところもありますし、特色ある活動をしている商店街や任意団体もみられます。地域コミュニティの再生や創造はそういった身近なところからヒントをもらえる可能性があるのではないでしょうか。さらに、PTAの解体に伴う保護者組織の再構築など、全国的な流れが鹿児島市でも活発化していることも、地域コミュニティに関するここ数年のトピックです。鹿児島や他の地域の成功事例に学び、発想や仕組みの転換をするには、今が絶好のタイミングです。地域コミュニティの担い手としては、あまりメインとなることのない、20代・30代だからこそできる発想で、インフラとしての地域コミュニティを、パートナーシップの向上にも配慮しながら活性化していきましょう。

地域には、経済活性化やにぎわい創出、交流人口増加といった、地方創生のための課題も存在し、鹿児島青年会議所は40年にわたりおぎおんさぁへの協力という形で対応してきました。おぎおんさぁは鹿児島市の無形文化財に指定されている、伝統文化といえる貴重なお祭りであり、鹿児島青年会議所がその中心で活動していることは会員の誇りともなっています。おぎおんさぁを始めとする祭は、その当日だけではなく、その前と後も大切な部分です。日本の情緒を体感し、普段の生活では得られない内面的な充実感を得ることは、祭に深く関わることでしか生じない効果といってもいいでしょう。非日常の祭体験は、この地域に暮らす楽しさを思い起こさせるきかっけになりえる、大切にしていきたいまちづくりの要素です。
一方、継続されてきた事業には、常にフラットな目線が必要です。蛇口をひねれば水が出るという常識が、自動水栓によってより高い次元へと昇華されたように、継続しなければならないことと、変えていかなければならないことを見極め、5年後・10年後を見据えて、常に次の一手を打つ、それが鹿児島青年会議所です。

汀に波は隔つとも

鹿児島市は市街地の近くに大きな火山がある風景から、古くから東洋のナポリと言われ、1961年そのナポリ市と姉妹盟約が結ばれました。その際には、鹿児島青年会議所も記念事業を行うなど、まちをあげてのお祝いムードに包まれたそうです。他にも、マイアミやパース、長沙と姉妹都市提携が結ばれています。鹿児島県鹿児島市によってアジアなどとの国際交流を生み出すべく多くの取り組みがなされているのに加え、地方空港では珍しいほど国際路線の多い鹿児島空港を擁していながら、鹿児島県の県別パスポート取得率は最下位付近の約11%に停滞しており、まちの国際意識はまだまだ発展途上にあるのが現状だと思われます。ごく一部の人しか海外渡航の機会がないという現状の中、鹿児島市民が実感として海外を感じるのは、街中で見かける外国人ではないでしょうか。コロナ禍による入国制限がなくなった2023年は、さまざまな国籍の人を鹿児島市のあちこちで見かけるようになりました。こういった外国人の方は、鹿児島でみかけた看板や電線だらけの風景などなんの変哲もない風景をSNSに投稿していたりして、微笑ましいと同時に、感覚や文化の違いに驚くばかりです。
感覚や文化の違いが悪い方に出てしまうことがあるのが国際情勢の難しさでもあります。2022年のロシアによるウクライナ侵攻や中国による台湾周辺での軍事的活動といった安全保障上の問題は極端な例だとしても、永年鹿児島青年会議所が利川JCと交流を続けている韓国との間にもさまざまな問題や軋轢が存在するのは事実です。だからこそ、青年会議所は硬直した状態の突破口となりうる民間外交を大切にし、活かさなければなりません。青年会議所が鹿児島に貢献するツールの一つとして、国際のつながりを発展させていきましょう。

2013年に発表された鹿児島JC地域ビジョンでは、教育力、地域力、国際力の3つの力をキーワードに能動的に活動することが宣言され、この10年鹿児島青年会議所は国際力向上、すなわち鹿児島の国際的なプレゼンスを高め、国際的交流のある都市に成長させるために活動してきました。10年の時が流れたいま、2018 JCI ASPAC鹿児島大会を開催し73か国から2131名(登録数)もの海外デリゲイツの受け入れを実現した輝かしい功績に加え、鹿児島に在住する多くの外国人と鹿児島市民が心と文化の交流を行う機会を多く創出するなど、鹿児島青年会議所による、地域の国際的な環境づくりへの貢献は多大なものがあります。会員がこの10年培った視野をさらに広げ、世界と鹿児島をつなぐ架け橋を150年市民に親しまれた五大石橋のような強固なものにしていきましょう。
さて、国際的な関係性について考えるとき、ヨーロッパやアメリカで起きている移民難民問題や人種対立を見て見ぬふりはできません。日本は、すでに世界トップ5に入る移民大国になっているという統計もあり、他国の現状は将来日本に襲いかかってくるであろう国際問題を先取りしていると思えてなりません。すなわち、ヨーロッパやアメリカでは長年断続的に労働力として移民を受け入れた結果、ゼノフォビア進行による社会の分断や、政治的不安定さの助長、テロの危険性の高まりが見られ、人々の生活に暗い影を落としているのです。2070年ごろには住民の10人に一人が外国人になるという予測のある、この日本が同じ轍を踏まないために、地域でできることは今の段階ならたくさんあります。鹿児島においても外国人労働者の数は増え続けており、2022年の統計では県全体で10000人近くになっている現状があります。鹿児島市に数千人暮らしている外国人や外国人の2世3世と、どう明るく豊かに共生していくのか。外国人との共生の現状と理想とのギャップを理解し、対処する力を鹿児島に漲らせることも、まちの国際意識向上の一つの形です。

かくしつつ遊び飲みこそ草木すら

鹿児島青年会議所は70年間の歴史の中で、市民の感性や行動、考え方に影響を与え続ける団体として、鹿児島市の文化の発展に寄与してきました。そこには、その活動運動が社会や地域にどのようなインパクトを与えるのか、という明確なメッセージ、会員の成長、そして情報発信が欠かせません。時にはマスメディアによって、時にはパートナーとの連携やクチコミ、インターネットを通じて、積極的な情報発信がなされることは、青年会議所の存在価値の基盤となっています。青年会議所らしい品格を忘れずに、時代に合った効果的な情報発信を続けていきましょう。

情報発信の基礎となるのが、写真や動画、ナラティブによる記録です。青年会議所内外と情報を共有するのに必要であることは言うまでもありませんが、活動の記録は、歴史的な出来事や貴重な瞬間の証であり、知識や経験の大切なアーカイブでもあるため、数年後数十年後にまで影響を与えうるものです。なにより、誰かの貴重な時間を犠牲にして取材・記録を行うのですから、適切なデータ管理や次年度以降への引継ぎまでも意識し、労力は小さく、成果は永く大きく現れるよう持続可能な方法を模索していきましょう。

2023年7月29日から8月4日には第47回全国高等学校総合文化祭鹿児島大会が開催され、全国から2万人もの高校生や関係者の人が訪れ、日ごろの芸術文化活動の成果を発表しました。たとえば、演劇部門は、オリジナルなどの脚本を60分以内で演じるというもので、全国に2000校あるといわれる加盟校の中から、各地区で選出された12校のパフォーマンスが行われました。高校生の大会という色眼鏡が必要ないほどのステージングの質の高さに、青春を演劇にかけている人たちの熱い思いが乗っかるのですから、その場に立ち会った人は問答無用で心を動かされる体験ができたことでしょう。身体一つで男女一緒に戦えるのは、文化活動ならではです。年齢や、ハンディキャップの有無が関係ない世界がそこにはありました。
鹿児島市には、深い歴史に裏打ちされた文化が根付いています。著名なものとして、焼酎・さつまあげ等を始めとする特産品、明治維新前後の歴史的文化財、独特の石文化、独特の方言、薩摩琵琶などの音楽があります。文化という言葉は、大きな概念です。高尚なもの、または単なる娯楽ではなく、景観、ライフスタイル、冠婚葬祭や食、音楽、美的感覚など我々の生活すべてに文化というものが関わっていると言っても過言ではありません。人は文化から離れては生きられないのです。
文化はまちづくりにも欠かせない要素であり、人の心を豊かにし、人を惹きつける魅力の一つとして、また、ひととひとの共感や結束を高めるツールとして、明るく豊かな社会を創造するきっかけになりえます。文化を活かしたまちづくりに着目するとき、鹿児島市の文化は若者を引き付けるものになっているのでしょうか。若者は、新しい経験や刺激を常に求めているものです。いわゆるカルチャーという言葉で表現されるような、アート、音楽、ファッション、サブカルチャー、ナイトライフといった分野の尖ったエンターテイメントが生まれては、定着し、また更新されていく、その流れの中で新しい経験や刺激は生まれます。持続的な発展を遂げる明るく豊かなまちには、文化の継承とダイナミックな変化がバランスよくあるべきではないでしょうか。カルチャーの力は、環境や社会課題の啓発に役立つだけではなく、ナッジ理論のようにエンターテイメント的な要素と結びついて、人びとの行動に大きな変化をもたらす可能性を秘めています。また、サブカルチャーがダイレクトに社会課題を解決することもあります。たとえば2023年にリリースされたスマートフォン向けゲームアプリPokemon Sleepは、規則正しい睡眠をまとまった時間取るほどゲームを有利に進められるという内容で、現代人に多いと言われる睡眠障害の解決を促進するものとして、話題になりました。鹿児島青年会議所だからこそできるカルチャーへの貢献を模索し、若者がわくわくできるまちづくりを進展させましょう。

できるできないじゃない やらなきゃならないことがある

鹿児島青年会議所は2022年度、2023年度と会員数が増加した全国的に見ても会員拡大に優れたLOMでありました。歴代の委員長や理事長はじめとする会員のみなさんの熱意あって達成されたこの奇跡を大切に、2024年度も拡大活動を続けましょう。これまでも多く語られてきた通り、鹿児島青年会議所の活動運動をより大きなものとしていくため、活動運動をよりラディカルでフレキシブル、プラクティカルなものにしていくため、会員のダイバーシティやインクルージョンを高めるため、組織にイノベーションを起こすため、会員拡大は必須の活動なのです。
鹿児島市の20代・30代は、20年前に比較して25%減少しており、今後も減少が想定されます。よく東京の流行は10年遅れて鹿児島に来ると言われていますが、若者の人口推移や拡大活動のあり方についてはむしろ非都市部の現状が将来の地方都市を考える上で参考になります。すなわち、非都市部では、従来の青年会議所の主な担い手であった自営業、経営者、士業のみならず、被雇用者、フリーランス、主婦(夫)などより多様な人が活躍しているのに加え、複数の団体に所属しながら、それぞれの団体の目的に沿って活動し、総合的にまちづくりに協力している例が目立ちます。過去と比較すると、鹿児島青年会議所にも会員構成に変化が起こっており、建設業等の第二次産業企業に所属している人の割合が減る一方、第三次産業が増え、被雇用者が理事役員として活躍する例が目立ちます。既成概念にとらわれない拡大活動や、組織のあり方を模索するべき時が鹿児島にも到来しつつあります。

近年、鹿児島青年会議所は一時期に比較すると入会辞退者や途中退会者が目立たなくなったという声もあります。2020年から2023年までのコロナ禍における活動の停滞が、よい方に作用した例ではないでしょうか。定着率を高めるために出席を求められる回数や時間を減らす、役務や金銭的負担を減らすなど、会員のコミットの仕方を時代に合わせて変えることはもちろん大切ですが、人によって違うアプローチの仕方があってもいいのが青年会議所です。たとえば、出向や、各種大会への参加、また、自青年会議所・他青年会議所会員や他団体、同世代の市民との交流といったアプローチがあります。これらは、タイパやコスパは決して高くはないかもしれませんが、鹿児島青年会議所に入ってくださった会員にとってかけがえのない経験となるであろうものです。現代的マーケティングに大切と言われている、今だけここだけあなただけの経験ができる、青年会議所の隠れた重要コンテンツなのです。コロナ禍で失われてしまった、こういった成長とLOM活性化の機会を鹿児島青年会議所に根付かせ、会員定着のきっかけのひとつとしていきましょう。

先達はあらまほしきことなり

40歳までしか在籍できない青年会議所では、1ケ月ごとの審議のサイクルがあり、時間が容赦なく過ぎていくことを実感させられます。よく考え、すべきことを見定め、それに集中することでしか、何かを成し遂げることはできません。鹿児島青年会議所は70年かけて地域や経済、政治の分野で鹿児島をけん引する数多くのリーダーを輩出してきました。一人ひとりの視野をひろげ、深め、行動力を得る、青年会議所のシステムが機能している証拠だと思います。会員は青年会議所で今まで触れたことのないものや体験したことのないことに触れ、視野を広げ、自分なりの真理を身に着けていきます。情報や価値観のインプットはもちろん、人前やフォーマルな場面でのアウトプットの経験を積み、人類に奉仕できる人になるのです。鹿児島青年会議所にはピュアで一生懸命な人がたくさん入会してきます。先達のみなさんが、新しく入ってきた会員の美点を伸ばすこと、会員全員がピュアで一生懸命なまま地域で活躍する、輝~かがやき~をもった存在になることを願っています。

ひとづくりは、まちづくりと並んで青年会議所の重要な活動です。JCI MISSIONにある通り、青年会議所は発展・成長の機会を提供しなければなりません。役割単年度制によるさまざまな経験や例会から学び、その学びをアウトプットし活動に活かしていくというサイクルの中で、会員は成長していきます。学びは一期一会であり、経験はそのタイミングでしか得られないものばかりです。チャンスのドアに迷わずに飛び込んでいけるか、うまく飛び込めるか、をあらかじめ知識として身に着けておくためのプログラムが青年会議所にはたくさんあります。日本青年会議所の提供しているJCプログラムに始まり、地区協議会やブロック協議会の提供する研修事業、一生の経験になると言われる国際アカデミーや日本アカデミーなど。共通しているのは、教える側も、青年会議所の会員(時にはOBですが)であることです。鹿児島青年会議所としての研修事業は、会員の特性に合わせた、そこでしか得られない、かつ地に足の着いた、刺激的な体験であってほしいものです。その上で、石清水八幡宮みたいにみんなが憧れるものの先達になれたら、それって最高じゃん!!

今、何をすべきか

鹿児島は教育熱心な地域、県外へ優秀な人財を輩出する地域であり、授業時間が長い学校が多いことや私立高校が多いことで知られています。また、鹿児島の教育といえば真っ先に挙げられるのが薩摩藩校造士館と郷中教育の二重の教育です。戦後自然消滅してしまいましたが、この少数精鋭の教育方式を取り入れようという動きは戦後79年たった今でもありますし、イギリスで成立しバラク・オバマやビルゲイツを輩出した、ボーイスカウトの成立に郷中教育の仕組みが参考とされたことは有名です。この教育によって育まれた、実践的で、上下の別なく闊達に話し合う気風が、明治維新後、日本政府内での薩摩藩士の活躍の原動力となったと言われることも多いようです。もちろん諸説ありますが……。
1980年代には、県の主導により郷土教育が掲げられ、話に伝わる郷中教育を中核とした、人材育成が推進された時期もありました。すなわち、心身の健康、豊かな人間性、強い意志と創造性科学性、国際的視野を備えた社会に貢献できる人材育成です。模範的な人物像を設定するこういった教育方法には、個性や人間性を抑えつけてしまうと反発もあったようですが、この時代の影響は現在でも、県内各地で見られています。教育委員会として一貫して郷土教育を推進している地域もありますし、各地の学校では、これに影響された校訓やスローガンが見られます。
現代に伝わっている郷中教育についての情報は、当時実際に行われていた教育を現代に通用するように多分にアレンジされたものである場合が多いようです。また、いざというときの武士としての生き方を芯から身に着けさせるという、郷中教育の目指すものについては賛否あります。にもかかわらず、これだけ郷中教育について今もなお語られているのは、世の中から消えてしまった、共同生活や世代を超えた遊び、地域全体での教育といったあり方が、大切なものだったと評価されているということなのでしょう。一方、現代の青少年に身に着けてほしいながらも、郷中教育ではあまり重要視されていないこともいくつかありそうです。たとえば、1994年に批准されたこどもの権利条約で、子どもは自分に関係のある事柄について自由に意見を表すことができること、が基本理念の一つとして掲げられているように、子供が自由な発想で自分の意見を言えるようになることや、地元に貢献し、地元で生き暮らそうという考え方を育てることなどが、これにあたると思います。地域の特色に学び、現代に取り入れていくことは、鹿児島を愛する我々だからこそ取り組みたいテーマです。
鹿児島青年会議所では定款第5条(事業)第1項第1号に児童又は青少年の健全な育成を目的とする事業を行う、と記載されており、児童・青少年育成事業は活動の要として位置付けられています。また、JCI MISSIONには、青年が社会により良い変化をもたらすためにリーダーシップの開発と成長の機会を提供する、と記載されています。児童・青少年についてもこれに準じた形で、リーダーシップの開発と成長の機会を、20代・30代の我々だからこそできる視点で提供していくことが求められるでしょう。
児童とは、一般的に小学生のことを指します。では、青少年とはなんでしょうか。辞書によると、青少年は、子供と大人の中間にある若い年代の人たちを指します。法律的には、青少年とは法律的には20歳未満を指す少年と、おおむね20歳頃から30歳頃を指す青年を合わせた言葉として使われてきたようです。このような言葉の定義を鑑みると、大人と言われる年代になったら青少年としての成長が完了し、何か別のステージへと移行するものだと考えられているような節があります。2022年4月に成人の年齢は18歳に引き下げられましたが、18歳で大人と定義してもいいかは別問題です。精神的な成長は30代まで続くという説もあり、作家の村上春樹氏も30歳成人説を唱えています。社会的に成人とされる年齢と、人間的成長や、進路に対する課題が解決へと向かうタイミングとの間には、ラグが生じることも多く、青少年期の人の焦りや不安の一因となっています。一般的なレールから外れた人や遅れた人も社会的、経済的、政治的に取り残されないようにすることは、SDGsのターゲットとしても設定されています。取組むべき社会課題に応じて青少年という言葉の定義は柔軟に取り扱っていきたいものです。
また、青年には青年の課題、少年には少年の課題が、異なった有様で存在しています。たとえば、小学生が多く悩んでいる、運動が苦手なこと、を大きな悩みとして抱えている20代はあまりいないでしょうし、20代の悩みの代表的なものとされる金銭に関する悩みを小学生が抱えていることも稀でしょう。青少年の課題解決のためには、問題の切り分けと、丁寧な観察、明確な目標設定が欠かせません。
少年には、家族や友達と共に時間を過ごし豊かな心を育む機会を提供し、学校や家庭で学べないことを学ばせ、青年には、アイデンティティを確立するチャンスを提供し、将来に夢や希望をもつ青少年を鹿児島に増やしていきましょう。

ゆく川の流れは絶えずして

組織を運営していくためにはコンプライアンスの遵守とともに、組織の進む方向性や現在位置を明確にし、すべての会員が共有することが必要です。それが、青年会議所における総会であり、定款第30条以下に定められた、会として重要な集会です。総会は70周年の節目の年をつつがなく超えていくために、心をひとつにする機会でもあり、共通の目標に向かって動く文化を醸成する場となります。理事長や理事だけではどうしても超えられない壁のある青年会議所の活動運動が、会員の協力によって期待以上の結果を生むことがあるとしたら、そのスタートはまず総会です。理事役員をはじめ活動に驀進する会員を温かく見守り盛り上げてあげる雰囲気をつくっていきたいものです。

総会と並んで青年会議所の根幹となる集会のひとつに、理事会があります。理事会がスムーズに運営され、コミュニケーションと意思決定がスムーズになされてこそ、理事に責任感と信用が生まれます。逆もまた真なりと言えないこともないですが……。
会議というもののあり方については、日本語だけでも100冊以上の書籍が販売されていることからもわかるように、さまざまな形態が考えられるものです。25年以上前、ノートパソコンが普及していなかった時代には、資料はすべて紙に印刷して配布されていたようですし、そのさらに昔は、議案を手書きで作成していた時代もあったそうです。2023年度には正副会議や委員会のドレスコードがスマートカジュアルなどに緩和されるという動きがありましたが、鹿児島青年会議所の活動運動を最適化するという会議の根本に立ち返り、変化を恐れずに オレたちの時代をよくしていけばいい 時はうつろうものだからよ。
一歩引いた目線から鹿児島青年会議所をとらえ、組織を下支えし、活動運動の質を高めていく、ワトソンやヘイスティングスのような存在が、鹿児島青年会議所にも必要です。

毎日の小さな努力のつみ重ねが、歴史をつくっていく

鹿児島青年会議所を語る上での切り口として、法人格があります。鹿児島青年会議所は、任意団体として発足し、1975年に社団法人、2012年に公益社団法人となりました。公益的な目的を掲げ、公益を増進し、活力ある社会を実現する法人であることを示す、公益社団法人という法人格も鹿児島青年会議所にすっかり定着しましたが、あらためて公益とはなんなのでしょうか。広辞苑の定義によると、国家または社会公共の利益。 広く世人を益すること。となっており、私益の反対語となっているようです。公益社団法人関連の法律には、公益法人の行う公益目的事業の例として、学術及び科学技術の振興を目的とする事業、文化及び芸術の振興を目的とする事業など23項目が挙げられています。公益社団法人という法人格が認められれば、税制上の優遇があったり、寄付金を受けやすくなったり、なにより信頼性が高まるという利点があります。そのため、公益社団法人として認定されるための要件は厳しく、会計や意思決定プロセスに透明性があること、財政的基礎があることなどが求められ、認定後も行政庁により監督を受けることとなります。これはひとえに公益社団法人が、継続的に、社会的インパクトのある事業を展開することが期待されていることの裏返しです。旧来から、日本では多くの民間企業に、近江商人の、三方よしの考え方のように、ステークホルダーに不利益を与えない、まっとうな活動をすることが自らの利益を得る近道であるという思想が根付いています。そんな中、配慮しなければならないステークホルダーの範囲は従業員、取引先、地域住民と、時代を追うごとに広がり続けているのに加え、環境問題や持続可能性に対する社会貢献がダイレクトに求められるようになり、民間企業のガバナンスは高度化しています。他方、鹿児島青年会議所は多くの市民をステークホルダーとして想定し、社会への影響力を広く隅々まで発揮することを志向する団体ですから、民間企業以上に、高いコンプライアンスが求められるのはもちろん、社会への影響を考慮した自律が求められるのは当然といえます。組織の自律を担保し、一歩引いた目線から組織を見る、監事、という役職が鹿児島青年会議所のみならず、ほぼすべての青年会議所に設置されていますが、それ以外の会員であっても一人ひとりが青年会議所の活動を通じて社会的責任を果たすという意識を持つことは、JCI CREEDの実現に近づくためにも大切なことでしょう。社会的責任を果たすことで社会からの信頼と期待が高まった結果、より広く深く社会に影響を与えられるようになり、社会的責任を果たしやすくなるという好循環が生まれる。鹿児島に一つくらいそういう希望の存在があるってすごくいいと思うよ!!

鹿児島青年会議所は基本的に会員から集められた会費により活動しており、予算は限られています。会員や周辺の人が働き得た報酬から捻出される、鹿児島青年会議所への想いが託されたお金ですから、すべての活動に対して費用対効果を意識し、無駄のないようにチェックがなされて初めて健全な状態であると言えます。また、公益法人には、予算書や決算書について定められた会計基準が存在し、コンプライアンスと同様に遵守が求められます。70年間続いた組織にふさわしい、厳粛な財政管理を目指しましょう。

鹿児島青年会議所の特色だと言われているものの一つに、渉外業務があります。明確な定義はないように思われますが、鹿児島青年会議所における渉外業務とは、綿密丁寧に連絡を取り、調整する中で各所との良好な関係性を構築する交渉活動、また、来訪された自LOM外のお客様をもてなしたり、逆にこちらが訪問する際に、スムーズに粗相なく対応するためのサポートをするアテンド活動を指していることが多いようです。日本青年会議所にも渉外委員会が設置される以前からこの活動に力をいれており、特に平成時代に県外から鹿児島青年会議所を目指して来訪された方へのマンパワーを使った数々のホスピタリティは、今でも語り草になっているほどです。完成されたマニュアルの無い中、いかに限られたリソースを活かし効果を発揮するかという、ある意味青年会議所の基本要素の詰まった活動であり、鹿児島青年会議所に渉外を取り入れた先輩方の慧眼、畏るべし。2024年度も、各種大会や行政・各種団体の連携において鹿児島青年会議所のプレゼンスを高めるツールとして、なによりも、鹿児島青年会議所の会員が楽しく活動するために、渉外、というものについて、さらにアップデートを重ねていきましょう。

いにしへの道を聞きても唱えても

俗に言われることに、なにかを変えるのは、若者ばか者よそ者であるという言葉があります。何を隠そう、156年前、大政奉還のあと日本という国を大変革させながら実力のある国に押し上げたのは、藩政に深く携わっていたわけでもない、薩摩藩長州藩の、働き者の若者ばか者よそ者たちでした。政府の中枢で活躍したのはもちろん、国歌国旗を制定するなど日本人の心や文化に残した数々の功績は、現代でもさん然と輝いています。
これまでやってきたことを変えずに、踏襲していくことは楽なものですが、潜在的な資源を活かしたり、一人の人間が年を取って徐々に低下していくパワーを補ったりしたいのなら、好奇心向上心行動力にあふれた若者ばか者よそ者人財を活かすことが近道です。ビジネスの分野では、それまでの文脈とは全く違うところから新たなサービスや企業が登場する(そして、消える)ことが日々繰り替えされています。一方、まちづくりの団体では、新陳代謝が起こらずに補助金を使うことを前提に前例を踏襲するのが活動内容となってしまっている場合が多いものです。青年会議所の良いところの一つは、突拍子の無い話であっても、話を聞いてくれる人が必ずいるということです。口を開かなければ分からない 思ってるだけでは伝わらない。鹿児島青年会議所会員ならではの視点を活かして変革を求める若者の集団の活動を、みんな待ってるよ。
まずは、時間や場所の制約や、慣れ切ってしまった感覚、凝り固まった考えから一度離れましょう。自分たちでは何も変えることはできない、大変だ、という思い込みを離れる、その一歩から未来は拓かれます。信じた通りのやり方で鹿児島青年会議所会員が真に大切なものを見極め、持てる能力魅力長所を発揮するヒーローに成長するとき、まちのポテンシャルが解放され、世界に誇れる鹿児島の実現につながると確信いたします。
シェイクスピア、紫式部、ジェーン・オースティン、ジェイムズ・ジョイス、ヴァージニア・ウルフ、エドガー・アラン・ポー、トルストイ、正岡子規、フランツ・カフカ、宮沢賢治、ウォルト・ディズニー、手塚治虫、ウィリアム・ギブスン、トマス・ピンチョン、40mP……。物語の可能性を広げてきた、これらの人たちは我々と同世代にしてそれまで想像すらされていなかった作品を生み出しました。傑作と言われる物語に通底する、直感と論理、過去と現在が混交する混沌の中に生まれる新しい解釈と既成概念を突き抜ける力は、我々の中にすでに存在しているはずです。JCI CREEDを携え、誰にも遠慮することなく、無謀とも思える挑戦に臨み、70年受け継がれてきた鹿児島青年会議所の力を存分に使いこなす1年間を過ごしましょう。インプラクティカルに考え、アスピレイショナルに語り、アンコンディショナルに行動しよう。アンコンベンショナルにいこうぜ!←結論。